留年医学生メンタリティ

心身故障、留年、休学、療養

どうしてこうなった(~幼稚園編)

 精神的に不安定なことしかアイデンティティのなくなっている僕ですが、いつからこうなってしまったのか? 原点はどこなのか? 精神病棟のベッドの上は暇なので、思い出してみたいと思います。

 最初に思い当たるのは、幼稚園の年少にあたる3~4歳、1998年頃になります。20年も前なら、そりゃ軌道修正なんてできませんわな。この頃の僕はド田舎に住んでいたんですが、翌年には引っ越すことが決まっていて、狭いコミュニティゆえご近所さんもみんなそのことを知ってるから、僕を幼稚園に入れたら母親がPTAの役員を押し付けられることがわかりきってたんですよ。それは嫌、という母親の意向で幼稚園に通わせてもらえず家で過ごすことになり、同年代の友達をほとんど作ることができなかったんです。つまるところ、人付き合いの土台のようなものを、いきなり築き損ねてしまったんですね。僕はいわば基礎のない建物なんですよ。全てはそこから始まりました。たぶん。

 そして1999年、引っ越しを機に年中の歳から幼稚園に通わせてもらえたんですが、既に1年間一緒に過ごして形成されたコミュニティの中に、コミュニケーション能力の基礎すら持ってない僕が入っていくのは簡単なことではありませんでした。みんなが幼稚園でおうたを歌ったり、お遊戯をしたり、がんこちゃんを見たり(たぶん)していた時に、「どーなってるの?!」や「おもいっきりテレビ」といったワイドショーを見て育ってるんですから。そうしてパッとしない幼稚園時代を送ったんです。

 1999年といえば、印象深い思い出がもう一つ。引っ越してきたばかりで友達なんて誰もいないのに、近所に公園があるみたいだから遊んでおいでとプラスチックのおもちゃのバットを持たされ放り出されたんです。でも誰にも声をかけられないどころかそもそも誰もいない。かと言ってすぐ帰るのも気まずいので、仕方なくベンチに腰掛け、バットのグリップに巻いてあるビニールをペリペリとはがして時間をつぶしました。涙目で。

 しばらくすると、両親が様子を見にやってきました。そもそもどうしてうまくやれると思ったのか全くもって理解できないんですが。その場面の気まずいこと気まずいこと! それ以来、両親は友達を作れとか外で遊べとか言わなくなり、好きだったトミカを割と不自由なく買ってくれるようになりました。そしてますます一人遊びワールドに没頭してしまい、人付き合いのスキルを磨く機会が失われていったわけです。実際、今も、複数人遊びでルールを知ってるのって、野球と、アタック25と、高校で停学喰らって暇になった時にガラケーのアプリでやり込んだ大富豪くらいですから。いや、大富豪はマジで強いです。他にやることなくて何千回もプレイしましたから。

 いやしかし、バットのペリペリは大きなトラウマでして。大学生になってから、いい感じの女子大生と、いい感じのお店にご飯を食べに行ったことがあったんですけど、順番待ちで並んで座ってる間に、その女子大生が

「新しい日傘買ったんだよねー」

って見せてきたんですよ。柄のところにまだ残ってるビニールをペリペリしながら。そしたらその時にあの公園での出来事がフラッシュバックしてきて、泣いちゃいましたからね。ドン引きされましたけど。

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